どんよりとした空の下

三増峠の戦い(みませとうげのたたかい)とは、1569年(永禄12年)の武田信玄と後北条氏により行われた合戦である。

1569年、武田信玄の軍勢が北条氏康の小田原城を囲んだ。有名な惣構えはこの籠戦の後に着工された。とは言え堅城での篭城策は手堅く、武田勢は撤退した。後詰めとなった甲州街道守備軍の北条氏照、秩父方面守備軍の北条氏邦の軍勢は要所である三増峠(相模原市津久井町根小屋~愛甲郡愛川町三増)に着陣し有利に戦端を開いた。

しかし、小田原から追撃してきた氏政の北条本隊は荻野(厚木市)まで迫っていたが進軍を停止、挟撃は実現しなかった。この間に志田峠 (三増峠南西約1km) に機動した武田別働隊が氏照・氏邦の陣よりさらに高所から襲撃し戦局は一転した。山行であるため騎馬による機動でこそ無いものの、武田勢のドクトリンが完遂されたというのが通説。
「ウィキペディア」より引用。

 上記のような歴史のあるところが今回のフィールドです。
 朝から空はどんよりしていましたが、予報では夕方まで雨は降らないだろう、ということでそれを信じて、珍しく雨具の準備をカットし荷物を減らしての出陣となりました。いつもの道をひたすら厚木に向かいます。少し晴れ間も出て、丹沢の山並みが見えてきます。いつもの景色にほっとしますが、寒くて写真を撮る気になりません。
 「三増合戦みち」なる名前の道路もありました。古の武士たちが、ここで刀を交え累々と屍を築いたのでしょう。志田1



















ここから志田峠への上りです。
 今日のコースは標高も低いので、大したことはないのですが、ほとんどが地道。地道大好き人間としては、最高のコースでもあるんです。ちょっとタイヤが細身なのが心配なんですが・・・。こんな道を上っていきます。ルンルン!!
志田2



























 30分ほど汗をかくと志田峠に着きました。ベンチが一つだけあって、休んでいると足の先からジンジンと冷えてきます。さっきまでウィンドブレーカまで脱いでいたのに・・・。じっとしていられなくてすぐに下ります。
志田3


























 ここは、次の三増峠の上り。ここは県道から分岐するところで、大きなガチッとしたゲートがあって、「一般車通行禁止」の看板があります。ゲートの脇までロープを張って絶対に入らないように、といった意思表示を感じます。少しばかりの後ろめたさを感じながら、それでも大胆にそのゲートを突破。ここからは誰もいない静かな地道の林道散歩です。いいでしょ?この感じ。勾配もそれほどでもなく、雪のある所はゆっくり押しながら、テコテコと上ります。
志田4




















 途中、吹き溜まりなのか結構雪が残っており、アイスバーンになってタイヤが滑ります。更に数日前でしょう。同好の士の轍の後もくっきり確認できます。それに道が綺麗です。と思ったら、上のほうでチェーンソーの音が。「何だ?こりゃまずいかな?」と思いながら上っていくと、枝打ち作業をしている作業員の人が二人機械で枝を切っていました。なんか言われるかな?と恐る恐る横を通り抜けながら、つい「こんな寒いところで寂しいでしょ?」とポッと口から出てしまいました。すると「ほんとだよ。」とにこっと微笑んでくれました。お咎めもなし。

 雪の上で転びながらも三増峠に着きました。時刻は12時過ぎ。用意してきたおにぎりをほおばりますが、何しろ寒い。昨日、山用品店でアルコールバーナーを買おうと思ったのですが品切れ。今日も温かいお茶が飲めません。すぐに下りを決め込み、慎重なブレーキさばきでゆっくりと下りました。
志田5




















 これがゲート。左側の支柱の部分に抱きつきながら自転車を抱え向こう側に出ます。あとは相模川に沿った舗装路を一路厚木に、そして横浜まで戻りました。やはり地道だからでしょう。メーターのセンサーの紐がぶった切れ、役にたたなくなってしまい、どのくらいの距離を走ったか分からなくなってしまいました。
志田6

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