便利さって?

数日前の日本テレビ「1億人の大質問!?笑ってこらえて!」を見ましたか?

その中で、「女性版、カメラに向かってごめんなさい」というコーナーでとっても意味深な意見を言う女の子がいました。

「便利って、言ってみれば無くてもいいってことですよね。テレビだって、暖房便座だって、携帯だって・・・、便利なものってどうしてもなくてはならないものじゃないですよ」

そう!
世の中、どんどん便利にしようっていろんなことをやっているけど、それってどうしてもなくてはならないものではない事(物)が多いようです。無ければ無いなりに工夫をして何とかやりくりをしていく、昔の日本はそうしながら、どうしたらもっと便利になるだろうか?と必死に考えてきたのでしょう。その結果、こんなに便利になってきてしまいました。

でもそれが却って私たちの首を絞める結果になってはいないか?
電気が足りないから原発を稼働しなければいけないと言っているけど、電気の使用量は昔に比べて何倍にもなっている事は誰だって知っています。でももう昔には戻れない。経済の発展もない。

そういった理屈で世の中は進んできていますが、こういうことって際限がないのです。便利さは限りなく追求され、無くてもいい物がだんだん増えていく。そして気がついたときには後戻りできない所まで来ている。今はそういうぎりぎりの処に来ているのではないかと思ってしまいます。


今日の朝日新聞にエネルギー経済研究所顧問という人の意見が掲載されていました。
曰く「私は、電力の安定供給や温暖化対策を考えると、日本では今後も一定規模の原子力発電は必要だと思います。・・・」
「何を馬鹿な事を言ってるんだ!」と本気で思いました。この人は現在の生活が、そのまま将来も続く事が前提で物事を考えています。でも今の日本人の生活って世界中を見渡してみてもほんの少しの人たちが教授している生活である事が分かっているのでしょうか。


今はやりのiPS細胞やSTAP細胞の研究の結果、今まで治らなかった病気が治るようになる事は、すばらしい事です。でもその結果として人間がなかなか死ななくなってくる事は明らかです。そしてさらにその結果として、高齢化はますます進行し、子供は生まれなくなってくるのではないか。
私はそんな事を思ってしまうんです。


便利さもほどほどにしておく事が、私たちがこれからも生きながらえていく為にとても大事な気がしているんです。


ちなみに当治療室の便座と我が家の便座は、3.11以降(冬でも)ずっと便座カバーを付けて電気のスイッチを切ったきりです。温水シャワーは最初から付けませんでした。それでなんの問題も起こっていません。


あの3月11日から丸3年。私たちはあの教訓から何を学んだのでしょうか。

小林一茶をもじって・・・「便利さも中くらいなりおらが春」

アロマオイル

妻の姉からの電話。
「ねぇねぇ、認知症になりにくくなるアロマオイルがあるって聞いたけど知ってる?実はさぁ、旦那が心配してるのよ。親戚に認知症になってるのが多いからって。」
次女がアロマ関係の勉強をしているので、本物を手にする方法を聞いてきたのでした。植物から純粋に抽出しているものって少ないようですからね。

その臭いをかぐことで脳のどこかに刺激が入るから効いてくるようなんですが、それが何処まで正しいかは難しいところです。

医学的な証明はもちろんないし、たぶん一過性のものであると思うのですが、実際に当事者になるとそうも言っていられません。何かにすがりたくなる、これは人情です。当然です。

認知症に限らず、将来の健康に対する不安は誰にでもありますが、私はあまりそういうものはありません。主催する勉強会等で、健康に対する漠然とした不安を無くすための様々なことをお話ししています。必ず参加した人たちにためになると思って・・・。
そして何事にも動じないように・・・。 

甘やかされた市民

今朝、長女から
「朝から耳が痛いんだけど。前から少しづつ痛かったんだけど今日、急に強くなった」と電話がありました。首を回してみるよう指示すると、痛みが変わるらしい。
「痛みがどうして起こるか分からないけれど、耳鼻科に行ってみて」とアドバイスしました。本当はこういう電話を掛ける前に、自分で何とかしてみて、その後に電話をしてくれることを期待しているんですが、中々そうはいかないようです。

我が家ではお医者さんに行く前に私が手当てすることで、ほとんど解決してしまい、実際にお医者さんに行くことは数えられるほどだったんです。今は親が近くにいませんからね。


一週間ほど前、NHKで「極北ラプソディー」という番組が放送されました。見た方もいるんじゃないかな。
北海道のある架空の街:極北市。ここの慢性赤字の病院を舞台に、瑛太演じる若き医師今中と病院を再生させるためにやってきた小林薫演じる世良の二人を通して、現在の医療の問題点を浮かび上がらせたやや重い番組でした。

救急患者は受け入れない、入院患者は退院してもらう 等の様々な方針を次々に実行。途中診察を拒否された患者が亡くなるという事態が起きても、信念を曲げない世良、それに反発しながらも少しづつ世良の考えに理解を示していく今中。

「私のやっていることは勇気があるのかねぇ」と世良が問いかけたときに、世良に理解のある医者が言います。。
「医療を行政と病院に押しつけない。10年後、市民が健康であり続けるために患者自身意識を替え、病院が疲弊しない様に努力する。わざと強権的な態度をとって彼らを鍛えようとした。先生のやっていることは勇気のいる行為です」と。

そして世良は今中に向かって言います。
「世間にすれば、俺は周りに軋轢しか生まない医者に見えるだろう。だが俺には俺の矜恃がある。今最先端の医療を戦っているのは東京のど真ん中の病院じゃない。このおれだ!ってな」
更に続けて、
「誰もがいつか死ぬ、ということに気がつかない振りをして生きている。病院の力だけを信じて、生き長らえようと彼ら患者を甘やかし、食い物にしてきた病院・行政・市民。その全てとおれは戦い続ける」

自分で不摂生をし、その結果身体の異常を引き起こし、治してもらいに病院を訪れる。その上、酒を飲む金はあっても医療費は払わない。そういう甘やかされた人たちがいる。そこまでひどくなくても、ちょっと具合が悪いと、すぐにフルコースの検査をしてくれる親切な病院はたくさんあります。そして結果が出る前から大量の薬を渡す。親切のオンパレードです。特に老人は負担が少ないですからね。


番組の終わり頃、世良の病院は入院患者や救急患者を受け入れず、自宅の戻った患者の訪問診療へと舵を切っていきます。 そして少しづつその結果が出てきて、経営もちょっと良い方向になって来たのです。

私たちはいつのまにか自分のことは自分で、ということを忘れてしまいました。何か重大な問題があるといけないから・・・、という理由で過剰な医療を当たり前のように受け入れ、検査してくれないと「不親切だ」と言う。やっぱりこれって変です。


娘からの電話で、娘にしたと思っていた教育がうまく行っていなかったことに少し寂しい思いをしながら、このめちゃくちゃな文章を書いています。


 

ためしてガッテン

今日二度目の更新です。

NHKの「ためしてガッテン」。今晩は腰痛特集でした。それも特別な腰痛で、かなりの確率で死に至る、そんな腰の痛みについてでした。

どんなことだろう?
DIC(血管内凝固)?そんな血管の病気かな?と思いながら見ていると、その原因が大動脈乖離と大動脈瘤。
つまり動脈に異常が生じて、腰が痛くなるものでした。

診断は寝ていても(安静にしていても)痛みが続くこと。


私たちがよく遭遇する腰痛も同じで、
「内臓が悪くて痛みが出ているんじゃないか?」と聞かれることがあります。そんなとき、
「寝ていて痛くないのから内臓じゃないことが多いですよ」と答えます。

結構お医者さんと同じことをしているんですねぇ。

腰痛が起きたときに「温める」のか「冷やす」のか。
急性期には温めることが有効、慢性期には根拠なし、、冷やす効果は医学的にはない、という結論でした。

つまり温めることが最初の頃には有効だということです。でも私たちはこう考えています。
ズキンズキンといった痛み、患部に脈を感じる、患部が腫れている、こういったときにはまず冷やす。そしてそれが収まってきてからは、常に温める。そういう指導をしています。

このときの冷やすわけは、治療というよりも、痛みを少しでも和らげるために行うものである、と思っています。
湿布については、「温」「冷」どちらでも良くて、大きな違いはないそうです。


この番組で参考になったのは、歩くことの効果、そして自転車の効果です。自転車大好き人間の実感としては、腰が痛くても自転車に乗っていると、痛みが少なくなることは本当にある気がします。

これから腰痛でいらっしゃる方には、このあたりを参考にしたアドバイスをしていきましょう。

江戸っ子?

朝日新聞に時代劇の話が連載されています。先日は、「鬼平犯科帖」の中村吉右衛門と梶芽衣子が取り上げられていました。その中で、梶芽衣子さんが、
『「かみゆい」といったら、視聴者から「それはかみいい」だと指摘された。そういえば祖母はかみいいと言っていた』といったニュアンスの談話が載っていました。

下町江東区生まれの私も、祖母が、
「かみいさんに行ってくる」といっていたのを覚えています。
私にとっては、「かみい」さんで、それが美容院のことだと分かるのはだいぶ後のことだったような気がします。
祖母も私の父も東京下町生まれ。「ひ」と「し」が区別できないのは当たり前。
でも白黒のテレビの時代劇を見て、その話しっぷりを聞いてもぜんぜん違和感がありませんでした。

結婚して、横浜生まれの妻と話すと、私の言葉は「非常に汚い」らしい。
「そえじゃねぇだろう」
「何言ってやがんだ」
なんてことは日常使っていますからね。

首都圏に住んでいる人のかなりの割合は、いわゆる地方から出てきた方々です。その方々は(大阪人を除けば)ほぼ全員標準語を話します。

みんなが生まれ育った言葉を話す社会って、想像するととっても面白い気がするんですがどうでしょう??最初は意味が通じないかもしれませんが、時間がたてば何とかなるような気もするんですがねぇ。


そんな時間はない!?おっしゃる通り。
でもそのくらいの余裕は持ちたいものです。

どっか具合の悪くなったときも、ちょっとばかりの余裕があるほうがすんなり治る気がするのは、治療家の言い訳でしょうか??