江戸時代の井戸

旅好きな我が妻。料金が安いので、いろんな旅行会社のツアーに参加しています。そのせいか、我が家にはいろんな旅行会社から毎月膨大な旅の案内が送られてくるのです。トラピックス、クラブツーリズム、日本旅行等々。

先日クラブツーリズムから送られてきた案内書に、江戸時代の水道の話が掲載されていました。

・・・・・江戸が百万都市になり得たのは、水を不自由なく使える上水道というインフラが整備されていたことが大きい。
(中途略)
神田上水と玉川上水が江戸の町の成り立ちに欠かせないライフラインとなった。江戸へたどりついた水は、町の地下に張り巡らされた木製の水道管「樋(とい)」を経由し、町内の「上水井戸」へと供給され、近隣で共同利用していた。(後略)・・・・・・・「旅の友、2014年5月号、クラブツーリズム」より


そうだったんだ!!
テレビの時代劇で登場する長屋の女将さんたちが、洗濯や炊事をしているあの場所。あの井戸はてっきり本当に井戸だと思っていました。つまり地下水だと・・・。ところがこの記事によると、あれは地下水ではなくて、街中の道の下にきちんとした配水設備があったのです。

これってすごいことだと思いません?そして江戸時代が300年も続いた意味も少しばかり分かったような気がします。
ローマ時代の水道設備が残っていると勉強したことがありますが、日本でもそれに匹敵するようなことが起こっていたことに大きな感動をもらったのでした。

テレパシー

山口市周南市で起こった連続放火殺人事件。女性ばかり5人が殺された悲惨な事件でしたが、犯人は63歳の男。近所付き合いのトラブルから引き起こされた事件のようです。

私の注意を引いたのは、事件そのものでなくて、その男が捕まった1分後に飼い犬のラブラドールが突然死した事です。それまでとても元気だった犬が突然死んでしまう。偶然だとも思いますが、一方でこういうことってあるよなぁ、とも思うんです。飼い主が捕まってしまい、もう会えなくなってしまった事に気づき、そのショックで命を落とす。人間よりも敏感であると思われる犬の死は、必然の出来事に思えてならないのです。

整体法創始者の野口氏のエピソードの中にこんなものがあります。疎開していたころ、こたつに入っていた野口氏が急に元気がなくなり、横になって寝てしまった。しばらくするとむっくりと起き上がり「今、そこにKさんが来て、そこに座っていたんだよ」と。
そしてKさんに話していた内容を家族に告げたのでした。階段の下にあった米袋を見つけ、それを取ろうとしたときに死んでしまった、と。
数日後、Kさんの死の知らせが届いたのです。(野口昭子「朴歯の下駄」全生社)


私たちにはそういった感覚が備わってるのではないか、虫の知らせなどという事もあるし、なんとなく感じるささやかな気配と言うものがあるのではないか。そんな事を真剣に思っているんです。

ゆっくり息をして頭をポカンとしているときに、そういった能力が高まる事も・・・。


私もよく安定度の実験で、同じような事をしています。一回体の安定を出した所で、相手が不快に思うような事を頭の中にイメージします。もちろん相手には何も知らせません。例えば昔裏切られた者の事などをイメージするんです。するととたんに今まであった安定が無くなってしまって、不安定きわまりない体に変化してしまいます。それは瞬時に起こります。そして逆に相手にとって好ましい事、例えば自分の孫の事なんかをイメージすると、一瞬のうちに安定を取り戻してしまうのです。

自分が頭の中で思った事が周りに影響を及ぼす。
よく「類は友を呼ぶ」なんて言いますが、こういったことは現実にあるようです。

いつも元気で楽しく生活していれば、その影響は周囲におよび、みんながハッピーになれるのです。テレパシーなんて言うといかがわしい感じになりますが、雰囲気でよい方にも悪い方にも行く事は、間違いない事だと思います。

お騒がせ麻生さん

総理の頃からお騒がせ発言の多かった麻生さん。

またやりましたねぇ。

 麻生太郎副総理・財務相は21日に開かれた社会保障国民会議で、終末期医療にふれる中で「さっさと死ねるようにしてもらうとか、いろんなことを考えないといけない」などと発言、終了後に撤回した。

 麻生氏は終末期医療や延命治療に言及した際、終末期の患者を「チューブの人間」と表現し、「私は遺書を書いて『そういうことはしてもらう必要はない。さっさと死ぬから』と書いて渡してある」と発言。さらに「いい加減死にてえなあと思っても、『とにかく生きられますから』なんて生かされたんじゃあ、かなわない。しかも、その金が政府のお金でやってもらっているなんて思うと、ますます寝覚めが悪い」などと述べた。                                       1月22日付朝日新聞朝刊4面。

でも麻生さんの言っていることは、今の日本では多かれ少なかれ、誰もが思っていることなのではないでしょうか。みんな「ピンコロ(ピンピンしていてコロッと死ぬ)」がいいと思っているはずなんです。でも現実はほとんどの人が、そういった医療体制の中に組み込まれてしまって、そんなことを医者に面と向かって言う人は、まぁいないですね。


逆に自分の身近な老人の方たちを見ると、ちょっと具合が悪いとすぐ医者に飛んでいく人のなんと多いことでしょう。年をとっていけば身体のあちこちが痛くなるのも当然なのに、すぐ医者にかかってたくさんの薬をもらってくる。そして薬のために胃を痛めるので、胃薬まで丁寧に処方される。さらに外からでは分からないからと、CTやMRIなどという機械を使って隅々まで調べる。古くなればどこかが痛んでいるのは当たり前なのに、ほんの少し正常値から外れていると言ってまた薬が出る。

なかなか安らかな生活ができません。

麻生さんの言うように、終末期の医療をどうするか、といったことは今すぐにでも文書として残しておくことをおすすめします。できる限りの治療をした方が患者は幸せだと思っている人は多いと思いますが、それによって苦痛が増えることも実はたくさんあるんです。何もしないという治療、これも立派な治療なんです。ベッドの横にたたずんでただ手を握ってあげる。背中をさすってあげる、声をかけてあげる、そういった行為が最高の治療になるんです。

麻生さんの発言が問題になっていますが、その中身は私たちがこれからどんな死を迎えるのが一番いいのか
、一人一人が本気になって考えることを求めていることだと思います。

橋下大阪市長

今日の朝日新聞朝刊に橋下大阪市長のインタビュー記事が掲載されておりました。
「ウン?」と思ったところがあったので、備忘録として書いておくことにしました。

「まず政治家として実現したい「日本社会」の姿を聞きたい・・・」と言う問いに対して、
「今の日本人の生活レベルは世界で見たら、五つ星ホテル級のラグジュアリー(贅沢)なものです。(途中略)これを享受するには、すごくコストがかかる。維持するかどうか最初に決めないといけない。今以上の日本を無理に目指す必要はありませんが、僕は少なくとも今のレベルを維持したいんです」
(朝日新聞2月12日付け朝刊11ページ、インタビュー「覚悟を求める政治」より抜粋)

とっても分かり易いですよね。
今の生活レベルを維持する、という基本的な方向性が述べられています。インタビューはその後、生活レベルを維持するためには日本人一人一人の努力が必要だ、と続きます。

橋下さんの言っている「今のレベルを維持する」という考えがいいか悪いか、といったアプローチは不毛な議論だと思います。でも日本人一人一人がこのことについて、真剣に考えていくことはとっても大事なことだとは思います。

五つ星級のラグジュアリーな生活レベルにあるにもかかわらず、日本人は余り楽しそうではないようにも思えるんです。 一昨日の「笑っていいとも」にゲストで出ていたEXILEのUSAは、ブータンを訪れて印象を「とってもいい国です。昔の日本みたいで、顔も似ている」みたいな趣旨の発言をしていました。
私は「日本はもう少し貧乏な国になってもいいのではないか」と思っています。スイッチをひねればパッと明るくなったり、トイレに座ればシャーッとお湯が出たり・・・、今の日本ではごく当たり前の光景が実はとっても希有な状況であることに思いが至ることが、とても大事なことだと思うんです。

こういうことを言うと「弱者はどうするんだ」といった話が出てきますが、そういった議論も踏まえて、本音で語ることが不可欠になる時代に入ってきているのだと思います。(思っていることはたくさんあるのですが、言葉に出来ません。それが私の一番ダメなところなんです)

命が延びて不安が延びた

ちょっと前の新聞記事から・・・。

(前略)生物学的には、人間も次世代を産む能力があるところまでが本来の部分で、老後は医療や科学技術が作り出した命です。子供を作って、子供が暮らしやすい社会を作るのならいいのですが、現実には老後を支える膨大なお金やエネルギーは、若者が負担しています。お年寄りに優しい長寿社会は、裏を返せば若者いじめの社会なんです。親が生きながらえて次世代を圧迫するのは、まずいんじゃないでしょうか。(後略)
東京工業大学教授 本川達雄  朝日新聞2011年11月19日付

「像の時間ねずみの時間」で有名な本川センセイのインタビュー記事の抜粋です。
そうだよなぁ、今の社会を見ていると、若者は仕事にもまともに就けないし、ちょっとおかしいよなぁ。と思ってみたりもします。

一方で、
以前、弱いものに優しい社会を目指そう、といったニュアンスの広告がありました。確かに弱いものに優しくすることはとっても大事なことだと思います。


んんん??
優しくするのかしないのか、どっちがいいんだろう?

たぶん本川センセイの「優しい」と、下段の「優しい」とは、意味が違うんでしょうね。


これからの社会、だんだん住みづらいことになるのかもしれません。元気で長生きすることは誰もが望むことですが、一方で、自宅の畳の上で死にたい、と誰もが希望しています。


年を取ればいろんなところにガタが来るのは決まっています。それを検査でちょっと疑いがあるから切ってしまおう、なんていうのはちょっとおかしいと思うんです。そこそこガタがあっても元気でいられればそれでいいんじゃないか、少しづつガタが増えてきて最後はコロンと行く。そういう経過ってあんまり苦しさがない様に思うんですが、どうでしょう。

命が延びて不安も延びるのって、あんまり楽しくないですよねぇ。


最後に本川センセイは言います。

3・11で、日本人派今までの能天気さに気づかされたのではないですか。病院で電源が落ちれば、入っているお年寄りは死んじゃいます。じゃあ、この長寿は福島の原発のおかげということになる。将来のエネルギーは大丈夫だろうか、と心配になる。それだけでなく、いつ認知症になるだろうか、などと不安を抱えたまま長生きしています。命が延びた分、不安が伸びただけです。
 それでも人々は、いずれまた科学がエネルギー問題を解決し、難病の治療法もみつけて、夢を与え続けてくれると漠然と信じるかもしれない。「科学教徒」です。でも案外、科学者のほうは、夢に中に住むウソや限界を知っていたりするんです。